本校の歴史・吉田流あん摩術
本校の歴史
沿革
1950(昭和25)年 4月 | 東京都中央区八丁堀に東京マッサージ師養成所を開設 創立者 平川荘作、所長に就任 |
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1967(昭和42)年 2月 | 財団法人マッサージ技術協会を設立 |
1967(昭和42)年 9月 | 各種学校として認定 |
1974(昭和49)年 7月 | 理事長 平川信代、 校長 平川敏雄 就任 |
1976(昭和51)年 8月 | 校舎を中央区日本橋蠣殻町に移転。校名を東京マッサージ師学校と改称 |
1977(昭和52)年 4月 | 専修学校として認定 |
1979(昭和54)年 3月 | はり・きゅう・あん摩マッサージ指圧科増設 校名を東京鍼灸マッサージ学校と改称 |
1981(昭和56)年 3月 | 専門課程を設立 |
1983(昭和58)年 3月 | 中央区八丁堀2-29-15に地上5階、地下1階の新校舎を竣工 校名を東京鍼灸マッサージ専門学校と改称 |
1989(平成元)年 4月 | 校名を東京医療福祉専門学校と改称 |
1989(平成元)年 10月 | 校長 平川信代就任 |
1992(平成4)年 11月 | 学校法人常陽学園を設立 |
1997(平成9)年 4月 | 中央区新川に7階建て校舎竣工 理学療法学科、作業療法学科新設 |
2000(平成12)年 3月 | 本校舎隣に地上8階の校舎竣工 |
2000(平成12)年 4月 | はり・きゅう科(昼間部・夜間部)増設 |
2002(平成14)年 3月 | 中央区新川に新校舎竣工、新校舎を1号館、旧校舎を2号館に |
2002(平成14)年 4月 | 専門学校東京医療学院を設立し、東京医療福祉専門学校内に 設置されていた理学療法学科(夜)・作業療法学科(昼)を新校に移管、 同時に理学療法学科(昼)・作業療法学科(夜)を増設 |
2006(平成18)年 1月 | 中央区八丁堀1丁目に地上9階建て医療科新校舎竣工、 はり・きゅう・あん摩マッサージ指圧科、はり・きゅう科が移転 |
2007(平成19)年 4月 | 鍼灸マッサージ教員養成科新設 |
2009(平成21)年 5月 | 校長 芳野 光子 就任 |
2010(平成22)年 4月 | 柔道整復科新設 |
2010(平成22)年 4月 | 理事長 渡邊 賢二 就任 |
2012(平成24)年 4月 | 東京医療学院大学開学 |
2021(令和3)年 6月 | 校長 殿村 康一 就任 |
2024(令和6)年 2月 | 理事長 濵田 良機 就任 |
吉田流あん摩術~吉田流あん摩術の唯一の継承校~
江戸時代に吉田久庵によって創始された「吉田流あん摩術」。
日本の伝統的あん摩術の流派の、ふたつのうちのひとつである「吉田流あん摩術」。本校の前身、東京マッサージ師養成所は、それを継承するために平川荘作によって設立されました。
「吉田流あん摩術」は、江戸時代に吉田久庵によって創始されたもの。 弦楽器の弦を弾くように筋線維を弾く“線状揉み”という独特の揉み方が特徴です。また、肘を使って揉む“肘揉み”も有名な手技のひとつです。
基礎から臨床までを実践に即して学ぶ、あん摩マッサージ指圧。
特にあん摩は、唯一本校だけに継承される「吉田流あん摩術」を3年間を通して習得します。
あん摩の歴史を振り返ると、古代中国にさかのぼります。
中国最古の医学書である黄帝内経に、あん摩のルーツと考えられている「導引あんきょう」の記載があります。
記録によると、西暦285年、応仁天皇の頃、百済王仁が、論語や鍼灸などと共に伝えたとされています。伝えられた「導引あんきょう」は、その後いろいろなアレンジが施され、いくつかの流派が生まれました。やがてそれが現在行われているあん摩になったのです。その代表格が吉田流あん摩です。
吉田流が産声を上げたのは幕末で、その祖は吉田久庵です。
埼玉県の一農家に生まれた久庵は、周囲の影響もあって医師を志します。
郷土で学んだ後、長崎に渡り、オランダ医学の清楚さに感銘し、その視点から鍼灸や導引を研究、吉田流を完成させたのです。その特徴と言えるのが線状揉みです。
その後、二代、三代とその技術を受け継ぎ日本橋を拠点としてきた吉田流は、三代目で絶えてしまいます。この緊急事態に一念発起したのが、三代目門下の平川荘作でした。
平川は、「吉田流を何とか残さなければ」という弟子たちの思いを結集し、昭和25年、 中央区の八丁堀に東京医療福祉専門学校の前身である、東京マッサージ師養成所をつくり、吉田流の伝承に努め、発祥当時そのままの技を、次の世代に伝承しております。